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深山会とは
深山会とは、盛岡一高音楽部OB・OG会の名称です。
昭和30年 混声合唱を始めて5年目、NHK合唱コンクールで、
混声合唱曲「深山には」を演奏し、県代表となりました。
このときから、
部歌が「深山には」になり、
OB会の名称も「深山会」となったといわれます。
このたび
世代や在住地を越えて交流の出来る場としてホームページを開設いたしました。

音楽部にあった「学年ノート」 「パートノート」のように
掲示板を気楽に参加してください。


高橋 功宜先生HPより
昭和28年(1953年)春,芸大委託生修了と岩手大学卒業という二つの証書をいただくことができました。そしてその年から沼宮内、盛岡一高兼務が決まり両親もやっとほっとした事でしょう。就職した私は、自分の家とはいえ、兄夫婦も同居しておりましたので、ピアノを買ったとしても置く場所など考えも及ばなかったのです。


 一高にあった一台のアプライトピアノは弦が錆つき断線箇所もあり、おまけにその下は生徒違の下駄箱代わりという全くひどい状態でした。やはりいいピアノが欲しいと思いました。その頃、時折お逢いしていた材木町東山堂支店(書店)のご主人とかわす雑談の中で、自分のピアノを買うことになりました。本店(楽器店)から買ったピアノの保証人は支店のご主人と言う一寸変わったかたちでした。また、置く場所までお世話になり、材木町の三屋家具店の土蔵の一角をお借りすることになりました。土蔵の中は外から入ると真っ暗で、手探りでピアノの場所にたどりつき、裸電球の下で弾いたものでした。しかし、冬は暖かく、夏は涼しく防音効果も良く有り難いことでした。


 新米教師の私は家に生活費を出し、ピアノの月賦を欠かさず支払う決心をし実行しました。支店のご主人の玉山さんの話では、岩手県で個人でグランドピアノを買った私が最初と聞き驚きました。昭和31年(1956年)の事です。
 土蔵の中のピアノは実にしっくりと居場所が決まっていました。そして、そこに多くの人々が集まって来ました。一高OB合唱団の深山会の名もここから生まれました。